「はやぶさ」の電気推進エンジン(イオンエンジン)は、マイクロ波を使ってプラズマを作るのが大きな特徴です。イオン化した推進剤のキセノンガスを、強力な電場で加速、高速で噴射させることによって推進力を得ます。燃料と酸化剤を燃焼させる化学推進エンジンと比べると、推進力は小さいですが、非常に燃費がよく長時間加速し続けることができます。また、イオンエンジンの加速電極板に、耐久性にすぐれた炭素の複合材を使用し、従来に比べて3倍ほど寿命を長くしました。このイオンエンジンの実用化に成功したのは、「はやぶさ」が世界で初めてです。
Q.「はやぶさ」のイオンエンジンの開発で苦労された点はどのようなことですか?
オオカミはどのようにすることが住んでいますか?
新しいシステムなので、それぞれの部品をすべて自分たちの技術で作り上げるのが大変難しいことでした。地球と小惑星の往復には何年もかかりますから、14,000時間の宇宙作動耐久性を確保するのが、「はやぶさ」用のイオンエンジンを完成させるための条件でした。そのために、その時間を上回る作動時間を証明する必要があり、私たちは、18,000時間の耐久試験を2回行いました。1年間は365日で約9,000時間ですから、連続して2年かかるということになります。また、耐久試験は、エンジンを真空装置に入れ、コンピュータによる完全自動運転で行われましたが、この自動運転システムを作るのも苦労しました。当然、最初からうまくいくはずがなく、コンピュータのプログラムが間違っていると途中で装置が止まってしまいます。途中で� �まってしまっては耐久試験になりません。最初のうちは、いつコンピュータが止まるか分からないため、何ヶ月も研究室に泊り込んだこともありました。日曜でも夜中でも関係なく、装置に何か異常が見られたら電話がかかってきて、あわてて研究室に飛んで行くことも何度かありました。お正月も夏休みもなしで連続試験を実施し、最初の耐久試験を終えたのは1999年のことでした。その時が大変嬉しかったのを覚えています。
18,000時間級の耐久試験を2回も成功したことは、私たちの自信へとつながりました。とは言っても宇宙環境と地上の真空装置の環境はかなり違います。「はやぶさ」に搭載したイオンエンジンの装置に対しては自信がありますが、宇宙環境にシステムが耐えられるかどうかは未知の世界です。それを実証する� �めに「はやぶさ」に搭載したのですから、毎日起きていることは、私たちにとってすべて発見だと思っています。
Q.打上げから1年後の2004年5月に、「はやぶさ」は地球スウィングバイを成功させました。これは従来の方法と違いは あるのでしょうか?
毎年カリフォルニアでどのように多くの地震が発生する?
地球の重力を利用して加速するスウィングバイと、イオンエンジンの推進方法を組み合わせる方式は、「はやぶさ」が世界で初めて行った軌道変換方法です。イオンエンジンは燃費が大変よいですが、その反面、推力が小さいため、軌道変換を行うのに長時間必要になります。しかし、長時間の加速を行うと、探査機の軌道が徐々に大きくなって太陽から離れ、太陽電池の発電が十分にできず、加速が続けられません。そのために、地球スウィングバイを併用するという方法がとられました。打上げ後1年間は、イオンエンジンで加速をしても太陽からはあまり遠くならない方向に加速をし、十分な太陽光を受けて電気を得ました。
「はやぶさ」が撮影した地球
その電力でイオンエンジンを駆動して速度を蓄えて、スウィングバイすることによってその速度を倍にして、目的の小惑星に軌道変換しました。ただし、正確なスウィングバイをするためには、軌道が正確に決まっていないとできません。スウィングバイを行ったのは5月19日でしたが、その2ヵ月ほど前から、スウィングバイのポイントまで探査機を誘導する運用を行いました。そして、スウィングバイは無事に成功しましたが、その時はほっとした反面、それ以降の運用のことで頭がいっぱいでした。探査機から太陽が離れていくと電力も少なくなってきますので、それに対応した新しい運転方法をとる必要があります。私はその難しい運用のことを考えると、内心どきどきしていました。
Q.これまで「はやぶさ」を運用してきた中で、印象深かったことは何でしょうか?
折り畳まれた山々はどのように形成しない
イトカワに近づくにつれて、小惑星表面の様子がはっきり見えてきた時が、大変印象的でした。私が苦労してイオンエンジンを研究して作ってきたのは、やはり、見たことのない新しい世界を見るためです。初めて見るイトカワの姿を見た時に、自分はこのためにエンジンを研究・開発してきたということを実感しました。また、イトカワのタッチダウンの時も印象に残っています。ただ、イトカワ到着後はイオンエンジンを運転していませんから、私たちの仕事はありません。なるべく安全に着陸、離陸をして、早く地球へ帰ろうと願いながら様子を見ていました。
Q.「はやぶさ」ミッションを通じて学んだことはありますか?
技術開発は、思ったようにはいきません。困難に遭遇して、白旗を揚げないといけないかなと、へこたれそうになったこともあります。ただ、そこで諦めてしまうと、日本独自のシステムができないと思い、ぎりぎりのところで頑張って、なんとか技術を完成させることができました。
そしてミッションも計画通りにはいきません。「はやぶさ」はこれまで数々の困難を乗り越えてきました。そういう意味では、私は「はやぶさ」のイオンエンジンを、まるで生まれたばかりの子供を育てるような感覚で、なだめすかしたり、励ましたりしながら、少しずつ育てて大きくしてきたように思います。最後まで絶対に諦めてはいけないと決意しています。
Q.先生にとって「はやぶさ」とはどういう存在のものでしょうか?
「はやぶさ」ミッションは私の目標でした。私は1980年代からイオンエンジンの研究をしています。その頃はまだ「はやぶさ」の計画はありませんでしたが、イオンエンジンの特性を考えて、いずれ小惑星や彗星などの小天体の探査にこのエンジンが貢献するだろうと確信をしていました。そして1990年代、「はやぶさ」計画が決まり、私はそれに何としてでも、イオンエンジンを搭載したいと思いました。技術を開発するにあたっては、他国の技術を真似するのではなく、オリジナルの技術で日本の科学探査に貢献をしたいというのが私たちの強い願いでした。そこで、当時世界に例のなかった新しいシステム、「マイクロ波放電式エンジン」に着目をし、技術開発を行いました。開発期限のタイムリミットが迫り、もう間に合わないかも� �れないと思ったこともありましたが、何とか「はやぶさ」に間に合うように技術を完成することができました。「はやぶさ」に搭載されたイオンエンジンは、現在のところ、4台で26,000時間の稼働時間を記録しています。私はこのことを大変名誉に思います。
Q.先生の今後の夢はどのようなことですか?
「はやぶさ」で私たちが行ってきたのは、「深宇宙動力航行」です。これまでの探査機は、大きなロケットによって初速度が与えられ、それ以降は慣性飛行をしていました。ところが、高性能エンジンを搭載した「はやぶさ」は、自分で推力を出し、軌道変換を自ら行うことができます。この技術を使って、地球と深宇宙を結ぶ、新しい「深宇宙輸送システム」を発展させていきたいと思います。
Q.未来の宇宙開発を担う子供たちにどのようなことを伝えたいですか?
私は、「技術革新」が「世界観」を変えると信じています。例えば、1961年に世界で初めて宇宙飛行を成功させた旧ソ連のガガーリン宇宙飛行士は、「地球は青かった」と言ったと伝えられています。漆黒の宇宙の中で、唯一無二のオアシスとしての地球が、初めて認識された瞬間だったのかもしれません。「はやぶさ」も、新しい宇宙観を科学分野にもたらすでしょう。「技術革新」は決して宇宙だけを目指している訳ではありません。海の底や、ミクロの世界、生物の体内などいろいろあります。若い人たちには、人類の「知性」と「活躍」のフロンティアの拡大に、努力してほしいと思います。
Q.「はやぶさ」の帰還に向けて、どのようなことを思われますか?
打上げ当時から初めて経験することばかりでしたが、帰路についてはさらに、打上げの時にはとても考えられないような状態にあります。「はやぶさ」は、イトカワに到着した前後にいろいろな機器の不具合を生じました。帰還に使えるのは、姿勢制御に使うモーメンタムホイール1台と、イオンエンジンだけです。
私たちは、その少ない機器に加えて太陽光圧を利用した新しい姿勢制御方法を考え出し、今年の3月からイオンエンジンの試験運転を行ってきました。そして、4月中旬に、いよいよイトカワの軌道を離脱しました。私は、自分たちの工夫を最大限に応用して、「はやぶさ」を地球に戻したいと思います。この制御方式は、「はやぶさ」だけのその場しのぎに留まらず、私達が次に実現を目指す「ソーラー電力セイル」の姿勢や軌道制御にも適用できる発展性を含んでいます。そういう意味では、これは新しい工学的なチャレンジであり、自分たちが関われることは、むしろ大変幸せだと思っています。イオンエンジンによる帰還を成功させ、小惑星のサンプルが入ったカプセルを地球で回収することができれば、工学的だけでなく、理学的� �も大きく貢献ができます。ですから宇宙で少しでも長くイオンエンジンを動かして、なんとしても「はやぶさ」を地球に帰還させたい。私はイオンエンジンの可能性を信じています。
國中均(くになかひとし)
JAXA宇宙科学研究本部。宇宙輸送工学研究系教授。工学博士。
1988年、東京大学大学院工学系研究科航空工学専攻博士課程修了。同年、旧文部省宇宙科学研究所に着任し、2005年に教授となる。東京大学大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻教授を併任。専門は、電気推進、プラズマ工学。
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