2012年6月4日月曜日

フェアフィールド グレート フォールズ マウンテン - (Great Falls, アメリカ)


フェアフィールド グレート フォールズ マウンテンの最寄りの空港は、グレート フォールズ, モンタナ州 (GTF-グレート フォールズ国際空港) - 5.2 km / 3.

2012年6月2日土曜日

野の花便り ~初夏~


野の花便り ~初夏~

SHOKA

 ~ 初夏 ~

日本の初夏は白い花の季節と呼んでよいかもしれません。。
この花綵列島に自生する1000余種もの木々のほぼ四分の一が白系統の花をつけますが、そのほとんどがこの季節を待って咲き始めるのです。
日毎に深まる緑の中で、あるものは吹き渡る薫風に踊りながら、人目を引く鮮やかさで咲き、あるものは五月雨にそぼぬれて、煙るように咲いています。
もちろん、この白い花を引き立てるように、白いウエディングドレスのコサージュのように、数は少ないながらも黄や赤の花たちも咲いてくれるのもこの季節です。

東海地方の野山に咲くそんな花たちをご覧ください。

追加: 
11/05/02 カシワ  11/05/06  オニグルミ  11/05/12  タチシオデ
11/05/12 スイカズラ  11/05/16 コバンソウ  11/05/19 ヤマボウシの変り花
11/05/23 カズノコグサ  11/05/26  コメツブツメクサ  11/05/29  ホオズキ
11/06/02 ヤマウルシ  11/06/06 ヤマザクラ  11/06/09 オオバヤシャブシ
11/06/17  ウツギの実   11/06/21  ヒメジョオン  11/06/26  バイカモ
12/05/03  ムシクサ  12/05/10  ニシキギ  12/05/19 スダジイ
12/05/29  カモガヤ
 

May 1、 2006: ウワミズザクラ

  藤原南家の系譜と伝えられる遠江の国人横地氏が室町時代に築いた山城の跡を草友と歩いた。
 深く侵食された暗い谷間には赤い蕾をつけたハナミョウガが茂り、露出してしっとりと濡れて光る掛川層の裾にはオオバノハチジョウシダやシケチシダなどのシダ類が多く、尾根筋の草むらにではハルリンドウやキンランが花の盛りであった。
 一方、木々の花はと見れば、ヤマザクラはすでに散り終わり、クロバイやノイバラの開花にはいささか間があるこの時期、ウワミズザクラの白い花が新緑の中では人目を引く。
 ウワミズザクラは北海道の石狩平野から熊本県までの山地に分布し、日当たりと水分条件の良い谷の斜面などに多い。『中国高等植物図鑑』には四川省や江西省などにも分布するとあるが、掲載され� ��いる図はイヌザクラのようだ。
 材が硬く木理が密で美しいため建材や彫刻に利用される。花の終わったあと、実が未だ緑色の内に果穂のまま塩漬けにして食べることもあるという。
 ちょっと変わった名前だが、上溝桜(ウワミゾザクラ)の転訛だという。その由来は古代に亀甲占いをするとき、この材の上に溝を彫ったことにあるとの説である。また、鹿の骨を焼いて表面に現れる割れ目で吉凶を占う風習があったが、この骨を焼くのに使ったので占溝桜と呼んだものの転訛だともいう。
 遠州地方にはクソザクラとかヘッピリザクラという里呼び名があるが、これは枝を折ったり幹を切ったりするときに出る悪臭に由来する。奥秩父の山里、栃本にはツビヤキという名があり、焚き木にするとぱちぱち弾けて火の粉を飛� �して行儀の悪い女衆を狙い撃ちするからだという。山にこもって働く若い男衆の妄想であろう。


May 1、 2010: ヘビイチゴ  Duchesnea chrysantha (Zoll. et Mor.) Miq.

                            ふるさとの沼のにほひや蛇苺     水原秋桜子

 ゴールデンウイークが始まった。五月晴れの好日に、高速道も新幹線も空路も、故郷や観光地に向かう親子たちで賑わっている。誰もが明るく屈託なく笑い、話し合っている。これからもずっとこんな笑顔が見られる日本であってほしいとつくづく思った。
 「待っているおじいちゃんおばあちゃんと楽しく遊ぶの!」と弾んだ声で答えていたオチビさん、田舎の野道の、小川のほとりに這っているヘビイチゴも見つけてくださいね。
 ヘビイチゴ(蛇苺)という名はずいぶん昔から使われていたようで、平安時代の912年頃に著された『本草和名』には漢名の蛇苺汁の和名は"倍美以知古"とある。日のよ く当たる蛇が昼寝をしていそうな畦道や農道の際に這い広がっていることが多いためこんな名がついたのだろうか。クチナワイチゴともいう。クチナワはむろん蛇である。ヘビノマクラという里呼び名もあるが、これは丸くて赤い実(肥大した花托とその上にたくさんの瘤のある赤いそう果を乗せたもの)を枕に見立てたのだろう。
 花も実もよく見ればなかなか可愛いのだが、名のせいで嫌われて、清少納言は『枕草子』の153段ー名おそろしきものなかの一つに"くちなはいちご"を挙げている。遠州には"どくいちご"という里呼び名があり、これも蛇からの連想だろうが、毒があるわけではなく食べられる。だが、美味しいものではない。
 近縁種に花がそっくりのヤブヘビイチゴがあるが、日陰に生えることやそう果の 形が違っているので区別できる。

                             蛇苺あたりの草のかげは濃き     原田種茅


May 2、 2006:  ヒメコウゾ


雄花の集まり ウニのような雌花の集まり

    楮さく花のゆかりや国栖の里      鳥波
 
 吉野川の支流の高見川に沿った国栖(くず)の里のような古からの和紙作りとはほとんど縁のなかった遠州の地ではあるが、古代にはその繊維を縄に編んだり紙の原料にしたと考えられるヒメコウゾはあちこちの藪で目にすることができる。だが、江戸時代の製紙産業を支えたといわれるコウゾ(楮)には出合ったことがない。

 典型的なコウゾは雌雄異株で雄花序は長楕円形で、雌雄同株で球形の雄花序をつけるヒメコウゾとの違いははっきりしている。両者が別物だということはすでに小野蘭山を始めとする江戸時代の本草学者には気付かれていて、ヒメコウゾからは良い繊維が取れないことも認識されていた。一方、コウゾについては、元禄10年(1697)に刊行� ��れた『農業全書』に見るように10種類以上の品種が識別されていた。
 これらのコウゾはすべて栽培管理下におかれていたことからも分かるように、人間によって選抜されたものに違いない。しかしその栽培がいつの時代に始まったのかは不明であった。
 その後、コウゾの形態変異と稔性の研究を通して雑種起源説が浮上した。つまり、コウゾは日本に自生していたヒメコウゾと繊維源植物として大陸から移入されたカジノキとの交雑によって生まれたものだというのである。カジノキは藤原俊成の短歌などから知れるように平安時代にはすでに広く栽培されていた。人為的に交配した可能性も捨てきれないが、おそらく有史前からその繊維を利用していた人里近くにも生えるヒメコウゾと新来のカジノキの間に自然交雑が起こ� �、その中からコウゾが選抜され栽培されるようになったのであろう。

 ムラサキウニのような形をした雌花の集まりは梅雨の明ける前に熟して赤い小さな桑の実のようになる。この実を見ると、草木の名を覚え始めた高校時代、先輩にしてやられたことを新入生にも経験させたことを思い出す。
 「この木はコウゾ(当時愛用していた牧野図鑑ではヒメコウゾを区別していなかった)というのだ。この赤い実は甘くて初恋の味がするぞ」
 最近の口の肥えた少年はいざ知らず、当時の純真な高校生は迷わず手を伸ばし口に運んだ。するとその直後、
 「ひどいな~」 とほとんどのものが恨めしそうに顔をしかめる。
 それもそのはずで、ウニの刺のようだった長い花柱が乾いて、気がつかないほどに小さく縮んだ状態 で赤い実に残っていて、そのため甘いことは甘いが、もぞもぞとした食感がいつまでも残るのである。
 なるほどな~、といった顔をした少年は、私がそうであったように、すでに初恋に敗れた経験者だったのだろう。


May 2、 2011: カシワ  Quecus dentata Thunb.
   初夏の葉広がしわの青きいろ
              見つゝ睫の青きをおぼゆ     金子薫園

 里桜も散り、日々木々の緑が濃くなって行く中で、ひとり褐変した大きな葉を身に纏い、病気で枯れてしまったのではと思わせるような佇まいだったカシワも、ふと気が付けば若葉姿に変身し、萌黄色の組みひものような雄花を揺らしていた。
 極東に広く分布するブナ科の高木だが、日本では遥かな古代から大きな葉を食器に代用していた。カシワという名も"炊葉(かしきは)"ないしは"食敷葉(けしきは)"に由来するものと言われている。
 緻密な材は船や樽作りなどに利用され、樹皮はタンニンを含むので皮なめしや染色に使われた。
 遠州地方では山地でカシワに出会うことは少ないが、東北� ��方まで行けば、発達したこの木の林を見ることができる。例えば、柳田国男は下北半島の猿が森から田名部に向かう途中の村境の峠から見た観景を、「・・・・、今一度振り返って東の浜を見た時には、こんな寂しい又美しい風景が、他にもあるだらうかと思ふやうであった。見渡す限りの槲(かしわ)の林に、僅かの村里などは埋れ尽くして居る。・・・・・・」と『雪国の春』に記し、大正13年10月26日に小岩井農場郊外の原野で道に迷って悪戦苦闘した宮沢賢治はカシワ林の中を彷徨い、「・・・・・柏林の中にゐると/まるで昔の西域のお寺へ行ったやうだ・・・・・」と『霜林幻想』に詠っている。

   柏の木ものものしくもむらがりて
               山中に見れば尊きごとし    佐藤� �太郎


May 3、2008:
    養老の滝で出会った花 ~ミヤマカタバミ、イワカガミ、ヤマアイ、タニギキョウ

 『草の友会』の皆さんと「養老の滝」の花々を愛でた。

 酒房の"養老の滝"には飲んだくれていた時代いくたびとなくお世話になったが、親孝行な樵の源丞内にまつわる孝子伝説で名高い、この岐阜と三重の県境に近い滝を訪れるのは初めてであった。奈良時代、元正天皇が酒の湧き出すこの滝の話を聞き行幸したころの佇まいはいまや思い浮かべることも難しくなるように良く整備された公園の行き止まりにその滝は落ちていた。滝のほとりの案内板を読むと、源丞内の孝行話に感動した元正天皇は年号を養老と改め、80歳以上の老人に位一階を授け、孝子節婦を表彰した、とある。医療費高騰に伴う経済的な痛みは老人といえども感じてもらわねば困る(自分たちは老人になってもけして痛みを感じることはない身分だが)と「� ��期高齢者医療制度」なるものを発足させた平成の為政者とは大違いである。

  断崖の中ほどには30mの高みからほとばしる飛沫に濡れて、今が盛りと輝くヤマブキが揺れていた。

  滝へ登る途中の自然観察路にはさまざまな季節の花があったが、以下はそのうちの4種である。


ミヤマカタバミ(Oxalis griffithii) イワカガミ(Schizocodon soldanelloides)


 清楚な白い花と柔らかな薄い緑の葉のミヤマカタバミ(Oxalis griffithii)は東北地方からヒマラヤまで分布している。帰宅して写真を整理しているうちに、ふと山菜として利用されているのではないかと思い調べたところ、さっと塩ゆでして
冷水でしめたものを芥子ドレッシングで食べたり生ハムそえるとよいということだった。
 木漏れ日のよくあたる岩場ではイワカガミ(Schizocodon soldanelloides)の桜色のイソギンチャクのような花が咲いていた。久しぶりの出会いでうれしくなった。舌をかみそうな学名だが、"細かく裂けたベル+小さな貨幣"という意味で花と葉の形を現したものである。和名は無論岩場に生える光沢のある葉を鏡に見立てたものである。宇都宮貞子さんの『春の草木』には妙高山の麓の平谷あたりではカミナリソウとかソラノバアサンノシリノゴイと呼ぶそうである。名前の由来を知りたいものである。



ヤマアイ(Mercurialis leiocarpa) タニギキョウ(Peracarpa carnosa var. circaeoides)

 数百年は経ているに違いない杉の巨木の根元にはヤマアイ(Mercurialis leiocarpa)が茂っていた。東海地方では比較的目にする機会が多いと聞いたが、私はこちらに来てから始めて出合ったような気がする。
 雌雄異株のトウダイグサ科の多年草で、写真の株は雄株である。近くには雌株もあってころりとした無毛で緑色の実がついていた。中国から蓼藍が渡来する以前の上代には藍染といえばこの草を染料としていた。現代でも皇室の神事新嘗祭に着ける小忌衣はこの草で染めるという。

 山藍の小忌の衣手月さえて雲ゐの庭にいづる諸人     冷清太政大臣

 何処からともなく滲みだしてくる清水にしっとりと潤った岸壁にはタニギキョウ(Peracarpa carnosa var. circaeoides)が咲いていた。やわやわとした小さな草で目敏い人でないとなかなか気がつかないような存在である。
 しかし植物学的は大変面白い種である。東アジアから台湾、フィリッピン、ニューギニアに点々と数100kmから3000kmの間隔で隔離分布していて、原(1947)は5変種に分類した。最近シカゴ自然史博物館のBarnesky,A.L. & Lammar,T.G.(1997)はこの隔離分布に興味を持ち26箇所のハーバリュウムに保管されている72の集団の200個体の38の形態を詳細に解析した。その結果、かれらの結論は長距離の隔離があるにもかかわらず、タニギキョウは細分できず1種とすべきもの、ということだった。
 いやはや種の問題は難しい。


May 3、 2012: ムシクサ Veronica peregurina L.
 八十八夜が過ぎ、にわかに初夏の気配が濃くなってくると、草の茂りも日ごとに深まる。

 さして広くもない庭ではあるが、アメリカフウロソウやヨモギやタチイヌノフグリやヒメコバンソウなどなどで埋まっていくのを放置もできず、屈みこんで草取りを始めたところ、直径が2mmにも満たない白い花をぽちぽちと咲かせた、やや肉質で草丈10cmほどの植物が目にとまった。歩いている目線ではまず気がつくことはないだろう。
 イヌノフグリなどと同属のムシクサであった。日が翳ればやはり仲間と同様に花を閉ざす。
 普通は湿り気の多い田や畑に生えるので、小砂利を敷いた庭先で見つけたのは意外であった。アジアからオセアジアに広く分布しているが、日本のものは史前帰化植物だと考えられている。

 � ��シクサという和名は果実にゾウムシの1種の幼虫が宿り、よく目立つ虫瘤ができることに由来するらしい。 抜き取らないで様子をみることにした。





May 6、 2010: マツ Pinus densiflora Sieb. et Zucc. + P. thunbergii Parlatore


 狂った千恵子は口をきかない/ただ尾長や千鳥と相圖する/防風林の岡つづき/いちめんの松の花粉は黄いろく流れ/五月晴れの風に九十九里の浜はけむる/・・・・・・

 松の花粉を浴びながら、いつまでも立ち尽くしていたのは、もう天然の向こうへ行ってしまった千恵子の、その後ろ姿を見つめつづける、高村光太郎であった。
 5月のマツは、青緑の針葉にかこまれた多数の黄色の雄花を花軸に沿って螺旋状に並べ、その軸が空に向かってすっと伸びた"松の翠"の先端に、数個の薄紅色の小さな雌花を咲かせる。
 このマツほど日本人の生活に深くかかわってきた植物は、あまりその例を見ない。
 古代の人々は白砂青松の世界ですなどりし、神々がこの常緑で精気あふれる香を放つ樹に天降り たまうのを待ったし、天平時代の平群氏郎女は「松の花花數にしもわが背子が思へらなくにもとな咲きつつ」と越中守大伴宿禰家持の愛を待ったのであった。
 マツを祭る風習はいまも各地に残る。祭られる神が年神である場合、その依代であるこの樹を山に伐りにゆくのが"松迎え"であり、こうして"門松"や"拝み松"が立てられる。また、『徒然草』にもあるように、鎌倉時代には「家にありたき木は松」といわれるようになり、それは"門冠り松"や"見越しの松"など、日本の庭園に欠かせぬ木となった。さらに、長寿・隆盛の象徴としてのマツは、俵屋宗達の描く「松図襖絵」に代表されるような"金屏と青松"の美意識を生みだしもした。
 いっぽう、"結び松"の習俗も古くからあり、絞首される運命にあった有 馬皇子が「盤代の浜松が枝を引き結び真幸くあらばまた還り見む」と願ったように、万葉の時代はすでにおこなわれていた。
 松の花粉の流れる砂丘で、光太郎もまた、遠くへ去ってゆこうとする千恵子の心を、九十九里の浜の松が枝よ、しっかり結びとめてくれ、と祈っていたのかもしれない。

               松の花ちるべくなりて朝あつし春蝉のこゑしづかにそろふ     吉植庄亮
       

 普天間問題を載せた鳩山丸が案の定座礁した。どうも計画的座礁のように思える。日本列島に住む人々は、この荷をどの島に下ろすことも強硬に反対するから、米国さんが引き取ってくれと交渉を始めるのではないだろうか。そのかわり、日本は9条を廃棄して近隣とのバランスを保つため軍� ��強国の道を歩くからよろしく、そして日本国民もそのつもりで・・・・という方向に持ってゆきたいのではないだろうか。垂れ流される脳天気なバラエティー番組で笑わされているうちに、歴史が繰り返され始めたよう気がする。 



May 7、 2007:  イズハハコ
駿河湾から焼津の市街を越え、朝比奈川の流れに沿って吹き上がってくる薫風が無腸の鯉を泳がせている"玉露の里"でイズハハコに出合えた。

 南アメリカが原産地の帰化植物のアレチノギクやオオアレチノギクと同じキク科イズハハコ属(Coynza)の1種で、日本では関東地方以西の海辺に近い山地に自生しているが、中国から東南アジアを経てアフガニスタンあたりまで分布している。
 花が咲いていなければ痩せたハルシオンと間違えそうなひょろりとした草姿であるが、花そのものもまことにじみで、教えてもらわなければ気づかずに通り過ぎるところであった
 ところがこの植物は環境省レッドデータブックに絶滅危惧Ⅱ類の一つとして登録されている。
 美しい山草として乱獲の憂き目にあっているとは考� �にくいが、何がこの種を絶滅に向かわせているのだろう。
 それほど特殊な生育環境を要求しているようにも思えない。他種との競合があるのだろうか。


May 8、 2008: シラン (Bletilla striata)
   うしろ向き雀紫蘭の蔭に居り
        ややに射し入る朝日の光     北原白秋

 喉に痛みはまだ残るものの風邪の具合が少し良くなり、微熱も去ったようなので何日かぶりに朝の庭に出た。すっかり緑が濃くなり、ヤマボウシの苞も大分伸びて白くなり、蜥蜴が走り出した庭石の蔭ではシランが花の盛りになっていた。
 シランはかつてはこのあたりの丘陵ではどこに入っても目にすることができるほどありふれた存在だったが、宅地造成や茶畑の拡張で丘陵地が切り刻まれた近年では、運がよければ出合えるところまで減ってしまった。それでも性の強いランで、何とか生き残ってはいる。白花の個体も稀ではなく、JR東海の在来線の切通しの斜面一面に咲いていたのを見た記憶があるのだが、無論今では幻 である。
 話は替わるが、今日の朝刊を見ると、日本の国債が急落し始めたとあった。いまのところ外国資本が買っている額は大きくないようだが、700兆円も発行されている債券が紙くずになってしまう日が近づく足音を聞いたような気がした。


May 8、 2009: ツルウメモドキ Celastrus orbiculatus 

 数年前からアメリカで問題になっていた、原因が特定できていないミツバチの大量死が今年は日本でも起こり、果樹や野菜のハウス栽培農家が困惑している。
 そういわれてみると、庭の花にやってくるミツバチの姿をほとんどみかけない。ミツバチだけでなく訪花する昆虫そのもの総数が減っているように感じる。
 人類による環境汚染が昆虫たちの生存をも脅かしているのだろうか。それとも彼らは何事かを予感してどこかへ非難しているのだろうか。
 人類もまた次々と性質を変えるインフルエンザウイルスに右往左往している昨今である。
 家人は、子供の頃に細胞に取り付いて水疱瘡を発症させたヘルペスウイルスが暴れだしたための帯状疱疹に、今ベッドで苦しんでいる。運悪く唇と口腔をふくめた右� �顎部に水泡ができたため食事がとれず、点滴による栄養補給を続けている。痛みは想像を絶するほどらしい。
 一日も早く自力で食事ができるまでに回復することを願っている。

2012年6月1日金曜日

JAXA|イオンエンジンの可能性にかけて


「はやぶさ」の電気推進エンジン(イオンエンジン)は、マイクロ波を使ってプラズマを作るのが大きな特徴です。イオン化した推進剤のキセノンガスを、強力な電場で加速、高速で噴射させることによって推進力を得ます。燃料と酸化剤を燃焼させる化学推進エンジンと比べると、推進力は小さいですが、非常に燃費がよく長時間加速し続けることができます。また、イオンエンジンの加速電極板に、耐久性にすぐれた炭素の複合材を使用し、従来に比べて3倍ほど寿命を長くしました。このイオンエンジンの実用化に成功したのは、「はやぶさ」が世界で初めてです。

Q.「はやぶさ」のイオンエンジンの開発で苦労された点はどのようなことですか?